誕生日について考える

このブログは4年前の誕生日から始めたので今日で5年目になる。何事も続かない私にしては長く続いている。
節目なので戯言を。

去年の初秋ごろに天川村を訪れたことはこの日記にも書いたが、大峰山開山の際に行者が仮住まいとして修行した蟷螂の岩屋という洞窟がある。
胎内修行・胎内くぐりといわれるだけあって、それを思わせる洞窟内だった。
入口で渡される懐中電灯のあかりがないと1cm先ですら見えない漆黒の闇、しんと静まりかえった洞の中では自分のの息づかいすら鮮明に聞こえてくる。身を屈めないと前に進めない洞窟内。内視鏡カメラでのぞく内臓の中のような模様をした石灰石のトンネル内を進む。他に観光客がいないからとにかくこわかった。
折り返し地点ではさらにアクロバティックな姿勢で方向転換。
身を屈めた姿勢では結構長い距離だし、無音だし寒いし暗いし、とにかく光を求めて前へ進む。
やっとの思いで出た外の光は眩しすぎて目がくらんだ。
たかだか10分くらいしかいなかったのにこの有様。
ということは、胎内で十月十日(とつきとうか)過ごす胎児は修行僧ではないのか?ただただ人の形になるのをほぼ無音の世界で時がくるのを待つ。無の境地で修行を積んだ上で俗世に出る。
平家蟹のような真っ赤な顔で泣くのは修行が終わった気のゆるみなのかもしれない。
そう考えると赤ちゃんではなく赤様と呼びたくなるな。
かつては自分も修行した山伏だったなんて想像もつかない。むかし恐竜がいたんだよ、って言われるくらい想像もできない話だなぁ…。なんて思ったり。